☆斧道の歴史
日本では古墳時代に入ると、多量な鉄斧(てっぷ)の出土がみられ、刃の形もいろいろ異なっているが、おもに両端の張り出した扇形のものと、縦長で両面に刃をつけた長方形のものとの2種に大別される。
日本では斧はほとんど武器としては使われずに、もっぱら樹木の伐採、木材の切断、建築の部材加工などの重要な工具として発達してきた。
こうした斧の形態、用法は『石山寺縁起絵巻』など中世の絵巻物にも多くみられるが、上代から近世まで、大きな変化はなかったと思われる。なお、鉋(かんな)の発明以前、木材の平面を削るのに広く使用された大工道具の一つ、手斧(ておの)(ちょうな)も斧の一種と考えられる。
日本で戦斧が使われ出したのは、南北朝時代からのことであり、「太平記」では長山遠江守が赤松氏範との一騎討ちで斧術を駆使した。
斧術をもとにして、斧道が誕生する。
※斧の全長は128cm
日本では古墳時代に入ると、多量な鉄斧(てっぷ)の出土がみられ、刃の形もいろいろ異なっているが、おもに両端の張り出した扇形のものと、縦長で両面に刃をつけた長方形のものとの2種に大別される。
日本では斧はほとんど武器としては使われずに、もっぱら樹木の伐採、木材の切断、建築の部材加工などの重要な工具として発達してきた。
こうした斧の形態、用法は『石山寺縁起絵巻』など中世の絵巻物にも多くみられるが、上代から近世まで、大きな変化はなかったと思われる。なお、鉋(かんな)の発明以前、木材の平面を削るのに広く使用された大工道具の一つ、手斧(ておの)(ちょうな)も斧の一種と考えられる。
日本で戦斧が使われ出したのは、南北朝時代からのことであり、「太平記」では長山遠江守が赤松氏範との一騎討ちで斧術を駆使した。
斧術をもとにして、斧道が誕生する。
※斧の全長は128cm
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